第4回:梨子田 喬先生(岩手県立盛岡第一高等学校 教諭)


前任の岩手県立大船渡高等学校、現任の岩手県立盛岡第一高等学校と2校にわたって探究活動に取り組んできました。

私の場合、日々の教科指導の他、進路指導課の立場から学校推薦型・総合型選抜入試対応などに熱心に組んだことが出発です。

私たちは入試形態の違いから、一般入試対応と学校推薦型・総合型選抜入試対応を分けて考えがちです。しかし、分けて考えるのではなく、どちらの入試形態においても生徒たちがつまずいている石は同じだということに、あるときハッと気が付き、この対応力を養うことが始動のポイントになると確信しました。

感覚的でうまく表現できないのですが、「見えにくいロジックの段差」に気が付き、それをつかむ、表現する、乗り越える、といったような力です。生徒には「見えない学力」と言って説明しています。

こうした力を低学年から身に付けさせていけばと思い、論理的思考力を鍛える問題集のようなものを作っってみたこともありました。しかし、考えてみれば、問題集を作らなくとも現実社会というフィールドの中には生きた教材が豊富にあり、さらには天然の「見えにくいロジックの段差」が山ほどあるわけです。

現実社会の課題にがっぷり四つで取り組み、必要な力を自然と磨いていく方が高校生の力をはるかに伸ばすことができます。こうして、実社会に出て探究する活動を推進していくべきだという思いにいたったわけです。

実社会で何かを表現したり有形無形の何かを創造したりする中で、未知と対峙し、試行錯誤や自問自答を繰り返し……そうやって力とともに志を磨き、社会や学問の世界とつなげていくことが教育の本質です。高校生たちは「教わる」「正解を与えられる」ことに慣れ、教育活動の最後には、なんだかんだ教師が用意した正解、結論、評価が待っているものと思われがちです(われわれも用意しがちです)。

それに慣れてしまうと、正解を待ってしまう、「見えないロジックの段差」など見ようともせずに通り過ぎてしまう、「結局何を教わったか分からない」と不満をこぼす生徒を育ててしまうことになりかねません。まずは、「未知と対峙する」精神を持ち、その価値を学校文化の中に根付かせるところから始めるべきでしょう。授業も含め学校の教育活動には、正解や予定調和のように用意された結論が多すぎます。

答えがなく、複雑で、多様な、一言では言い表すなんてとてもできないのが世界の実相です。私は、こうした世界を答えを与えることで単純化せず、きちんとその実相に向き合い解決を目指していく態度をもった生徒を育成したいと思っています。

「生徒が社会から話を聞く」ではなく、「生徒が社会の大人に提案する」という設計に変えるだけです。私たちも失敗を恐れず、さまざまな教育活動に挑戦する中で生徒の見えない力を伸ばしていきましょう。

 

 


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